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【タイ移住体験インタビュー】タイに現地採用で移住 そして結婚・子育てをバンコクで

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今回はタイに2001年から2016年までお住まいになり、タイでご結婚、子育ても経験されたAさんにタイでの滞在・生活についてお話をお伺いいたしました。

まずタイに移住された時のお話しをお聞かせください。

タイには2001年に移住をしました。もともと香港に留学していたこともあり、海外に住みたい、海外で仕事をしたいという気持ちは非常に強く持っていました。香港での留学を終え、一度日本で就職はしたのですが、その気持ちが強くなるばかりで、日本での仕事は1年ほどで辞め、タイで仕事をみつけ、タイに移住することを決めました。
その時はまさか15年もタイに滞在するとは思っておりませんでしたが、現地採用でお仕事させて頂いた約2年間、その後は駐在員の妻として13年間、タイに滞在しておりました。

なぜタイを選ばれたのでしょうか。

この前にタイには2度ほど訪れていたのですが、実はあまり良い印象はもっていなかったのです。臭くて汚いしこんなところに住めるかな~と。本当はシンガポールや香港といったところで仕事をしたかったのですが、なかなか良い求人に巡り合えず、海外に出ること優先でタイの就職先を選ぶことにしました。

タイで見つけられたお仕事はどのようなものだったのでしょうか。

もともと日本から見つけた仕事は、外資系のホテルのゲストリレーションというポジションだったのですが… 渡航してみると、「採用できない」との回答。「前任者が退職する予定だったので募集したが、やっぱり退職しないことになったので」とのことで、当初の予定どおり就職することはできなかったんです。

その後お仕事はどう探されたのでしょうか。

2001年当時からバンコクには、日系の人材紹介会社や、タイ自由ランド・Dacoといったフリーペーパーがありましたので、それらを通じて、仕事探しを行いました。結果、半年ぐらいでアユタヤにある日系の工場で仕事を見つけることができました。

アユタヤの工場でのお仕事の待遇はどのようなものだったのでしょうか。

タイ アユタヤ

会社が駐在員用に借り上げているサービスアパートメントの一室に住ませて頂き、住居の面では非常に良い条件だったと思います。給与は3万バーツ、ビザ・ワークパーミットが支給されないという点はちょっと苦しい点ではありました。

当時はビザラン(以下で改めてご説明します。)についてもあまり規制が厳しくなかったため、出張者とともに2か月に1回、カンボジアの国境のアライヤプラテートまで車で行き、1時間程度で手続きをして、アユタヤに戻ってくるということを繰り返していました。

とはいえ、こちらの会社に就職し、旦那とも結婚することができ、ホテルの仕事がなくなってしまったことも含め運命かなとも思っています。

(補足)「ビザラン」とは?
日本人が観光を目的としてタイに入国するにはビザは不要ですが、滞在期間は最大30日(一度に限りタイで延長が可能なため最大60日)と期限があります。それ以上の期間、タイに日本人を含む外国人が長期滞在するためには、滞在許可証(ビザ)を取得する必要があります。
ビザランとは、正式な滞在許可証(ビザ)を取得していない(できない)方が、観光ビザの期限ぎりぎりで、カンボジアやラオスなどの近隣国に出国し、改めて観光目的としてタイに入国することを指します。カンボジアやラオスに出国するといっても長くても1泊、短ければスタンプだけ押してもらって帰ってくる(所要時間1時間ほど)というものです。
2015年頃からはビザランに対する規制が厳しくなっており、陸路でのタイへの入国や、観光ビザでの滞在が複数回にのぼる方は、タイの入国が拒否される例も多発しています。

2011年にアユタヤやバンコク北部で大きな洪水がありましたが、その時はどちらにいらっしゃったのでしょうか。

タイ 洪水 2011

結婚を機に会社は退職させて頂き、アユタヤとバンコクの間にあるパトゥムタニ2年半ぐらいほど住んでいたのですが、洪水当時は、運よくバンコクに引っ越した後でした。旦那が働いていた工場は完全に水没してしまい、旦那は大変だったようです。私たちはバンコクまで水没しないか?とドキドキしていましたが、バンコクまで洪水が来ることはなく、大きな被害はありませんでした。

ただ、当時住んでいた家のオーナーさんは、いつ洪水がきてもいいようにと、手漕ぎボートを購入、私たちもパソコンなどの電化製品は、できる限り高い棚にしまう、子供用の浮き輪など何か使えそうなものを手の届くところに出しておく、といった対策はしていました。

その後、旦那の勤めていた会社からも日本への避難命令が出て、家族で1か月ほど日本へ避難していました。

タイでの出産・子育てについて聞かせてください。

タイでの出産・子育てについては、特に苦労したという覚えはなく、日本での出産・子育てに比べて楽させてもらったかなとも思っています。出産はバムルンラード病院という私立病院にお世話になりました。無痛分娩が良い、もう少し長く入院させてほしいといった要望にも応えてもらい、とても楽に出産をすることができたと感じています。

子育てについても、タイ人の方は子供を大切にかわいがってくれる文化があり、レストランなどで泣いている子供を、スタッフや他のお客さんがあやしてくれたりと、日本だったら、恐縮してしまうような場面でも、楽させてもらったりしていました。

お子様の学校はどうされていたのでしょうか。

私立の幼稚園から、その後はバンコクにある日本人学校に通わせていました。現在日本に帰ってきてからも、大きな問題なく日本の学校の授業についていけていると思っています。タイ語や英語についても幼稚園からお付き合いしているタイ人のお友達がいたこともあり、下の子はタイ語も英語も簡単な会話であれば、できるようです。

タイに長くお住まいになられていた魅力はどのようなところにあるのでしょうか。

旦那の駐在期間がながかったという仕事の都合もありますが、タイのおおらかで、エネルギッシュな人柄、文化といったところが自分にあっていたと思っています。日本のように、何でもキッチリという文化ではなく、「マイペンライ」(タイ語で「問題ない・大丈夫」)の文化が、とても心地よかったです。タイに長らく住んでいたこともあり、日本のびっしりと並んだ電車の時刻表に違和感を覚えるほどに。タイでは電車の時刻表なんてなかったですから。
子供2人もタイ生まれ・タイ育ちということもあり、日本に帰るという時は、子供たちも大反対していました。今でも学ラン着たくない!、もっと果物食べたいと、タイに戻りたいようです。

タイでのビザ、医療保険などはどうされたのでしょうか。

独身の時は先ほどお話ししたとおりビザランを2か月に一度繰り返していました。結婚後は旦那の就労ビザに付随する帯同ビザに切り替えて滞在をしていました。
医療保険については、旦那の会社から家族分も含め海外旅行保険を支給頂いていたため、非常に助かりました。

また海外にいけるとしたらタイにお戻りになられますか。

日本に戻ってきて約5年。また海外に住みたい気持ちがドンドン強くなってくる今日この頃です。タイに戻るというのも1つの選択肢ではありますが、できれば新しいところオーストラリアかニュージーランドにいってみたいと思っています。もしかしたら、やっぱりタイが一番よかったという気持ちになるかもしれないですが。
旦那はタイが好きで、知人も多く住んでいるためリタイヤしたらタイに戻りたいななんてことを言っています。